2019年1月16日「適応指導教室」わかば教室inフォトフレーム

私の過去とも向き合う時間―そして「頑張っていたあの頃の自分」を・・・   見つめ直す時間でもありました。

上記のお2人は、わかば教室の先生です。気配りや配慮など・・・       とても素敵な先生方でした。

もう 1人丁寧な作品を創って下さった若い女の先生 がいらっしゃったんですけど...

撮影の中に写っていなくて「ええ――――!」ってビックリ^^;

 

その 先生 も、素敵な笑顔 を見せてくれながら、楽しく制作 致しました。ありがとうございました。

2019年1月16日 適応指導教室 わかば教室にて―

ちょうど 4~5年前 に遡ります。活動をまだここまで頻繁にしていなかった頃―

ここ―わかば教室 に 私は以前も「スイーツデコを教えに」来た事があります。

 

そうなんです!

今回で2回目「わかば教室」フォトフレーム制作 です。

 

そして―

この日、私は2回目のわかば教室 に行って来ました。

私にとって、この  わかば教室のフォトフレームlesson

想い感情溢れ出す出張講座 です。

 

人は、誰しも必ず「過去」があり、現在 があります。

そして、その 過去 は― 時には トラウマ になっていたりするものですが・・・

 

今こうやって 活動してる私 ですが...

 

ここに辿り着くまでには「大きなトラウマ」があります。

ここ、適応指導教室 は 学校に行きたくても行けない子供達スクール (学校)です。

 

・学校で「いじめ」にあっていて行きたくても行けない。

・集団生活になじめなくて、ひとり孤立してしまう。

・みんなについていけない etc...

 

私の頃 は、どれだけ「助けて!」と叫んでも、場所が無かったように思います。

小学校4年生の夏 抱えている「癲癇(てんかん)」発作が起きて、学校の授業中、倒れました。

 

 

私の小学校~中学校時代「いじめ」が始まりました。

でも、あの頃は「私には味方がいない」「誰も私を助けてはくれない」と思っていた^^;

 

でも、 は―あの頃の私 みたいに不登校になったら沖縄県「居場所がある」

心をケアして一緒に勉強も、悩みを打ち明ける仲間 も出来て

学校ではない 大人(先生達が)優しくケアしてくれる。

 

 

こういう子達は、繊細で真っすぐ で、だけど、自分の居場所がどこか分からず・・・

生きてる事 も、真剣 に考えながら「こわい」って感情 もあります。

 

繊細で真っすぐ だから他の人の感情が怖くて、自分の感情も―

「こわい」って感情は、決して悪い事ではない。               人一倍、真剣だからこそ、表面に出てくる感情だから。素直に受け止めよう。

個性 は、みんな違って良い。違うって事が、すごく大事!

 

私は自分は「出来ない人」だと思い続けていました。

「自己評価」が、とても低い。それは、子供時代、たくさんの苦しい言葉 を浴び続け・・・

自分は「生きてる価値」が無いと 思い続けてきた から。

 

今でも 私は、思います。

 

言葉って「こわい」生きてく事って「こわい」なぁーって・・・

この年になって あの頃を振り返ると、もう少しだけ「助けて」

言えれば良かったな って思います。

 

個性 は みんな 違ってて、当たり前

個性 がある子が 将来 輝ける」

傷ついた分 だけ、人の痛みが分かる大人 になる」

 

いま(現在)不登校 で、たぶん 親御さんも大変子供達 はもっと 悩んでる。

 

けど 大丈夫。

 

いま、こうやって―

頑張って生きてる皆 は、人の痛みが分かる大人 になる」

 

子供時代

子供時代の私 は、学校で孤立 し、発作を起こした事がキッカケ となり

言葉の暴力 を受けました。

生きてる価値が無い!と―自分を卑下 し、笑う事をやめた。

 

家族が笑う事・自分が笑う事 さえ、嫌悪感 を感じるようになっていきました。

一度、孤立をし「いじめ」を経験 すると―

 

生きてく事が苦しくなる時期 があります。

こんな私 も、生きてる事がとても苦しく辛い経験 をしました。

 

私は、ひとつ 幸せな事 があります。

 

それは―                        スイーツデコと出逢った事で「変わるキッカケ」になった事

今は苦しいかも知れない。けど、成長した後―今の経験が糧になる!

私は「いじめ」を経験してた頃 小学4年 ~ 中学3年もの 5年の期間

 

不登校 になり、友達の作り方さえも分からず誰に助けを求めて良いかも分からなくなり

親には今の状況話せず 私が悪い怒られ(笑)

 

私の赤信号サイレンが鳴ってる) 】

言えないで苦しんでる子 には、必ず見える形 で、サイレン 鳴らしてるんです!

 

・学校に行きたくない!とランドセルをハサミで切り―

・学校に行きたくない!と水風呂を浴び続け、翌日高熱を出し、病院へ―

・学校に行きたくない!と塩辛を2瓶ほど食べ、救急車を呼んだ事さえもあった。

 

この時、私は「学校に行きたくない」ただ、それだけだった。

その当時 を振り返ると、ひとり殻に閉じこもり 誰にも話せず 自分の中赤信号(サイレン)を出していた。

 

 

その事に、当事者(本人)は、苦しくて 気が付かないんです!

手を差し伸べる「大人達」 信号に気が付く「周りの親や先生」

そこには―伝えたい想いがある「助けて―」「私、苦しいの」って・・・

ここには 書けない感情や想いあの頃の話 が、まだまだたくさんありますが...

でも、だからこそ、今の私は思うんです。

 

もし、私が小学生の頃「いじめ」経験 しなければ― たられば世界 になりますが・・・ )

きっと 私は スイーツデコをここまで続けていなかった と思います。

活動のご縁 って、自分の過去との繋がり今の動きで形になっていきます!

 

だからこそ、私は―今回、不登校の子達の適応指導教室「わかば教室」

「お話」を頂いたのは、私の過去 との「トラウマ」の繋がりから・・・

 

私の活動通して 出来る事があるよ って 言われてる気がして

いま、こうして 記事 を書いています。

 

 

【書いた理由】記事を読んだ人ひとりじゃないよって言いたくて...

 

 

人の経験 は、必ず全て「意味」があります。

わかば教室のレッスンに参加した子達 が、その「意味」に気が付くのは―

もう少し先 かもしれません。

 

だけど、生きる事 は 必ずしも「苦しい事だけじゃない」

私も、同じく不登校でした!

今を頑張ってる「君達に」私は頑張れとは敢えて言いません。         だって、人一倍繊細で「頑張ってる」から。

現在ー 不登校に苦しんでる親御さん  子供達へ

 

あの当時の私 は、階段の先に光 があるなんて思ってもいなかった。

人との関わりが怖くなり 自分さえも見えなくなって「光なんて私には無い」と思っていた。

 

だけど―階段の先「必ず、光はあります。」

どれだけ階段を駆け上がっても 駆け上がっても は見えてこない―

けど、苦しくても自分を見つめて「助けて」と言える事が出来れば、そして―行動 が出来れば

 

その先 には、大丈夫 だよ。 「ちゃんと が待っています。」

 

そう、私もその先光がある事 を、今も信じ続けて生きています!

皆が、自分の殻を破るその日まで―2019年1月16日               わかば教室の出逢いに感謝して「私は君達を応援しています。」

【個人情報】写真と私のstory(過去)は許可頂きましたが、個人情報に関して―皆を守る為に、スタンプを使っています。ご了承下さい。